展覧会のみどころ
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最初期から晩年までの代表作・重要作を網羅
岡本作品のほぼすべてを所蔵する川崎市岡本太郎美術館と岡本太郎記念館が主催者として参画。両館の全面協力のもと、主要な代表作・重要作が勢ぞろいするほか、国内各地の美術館からの出品作品を加え、岡本芸術の全容に迫ります。
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最大規模のスケールで大阪、東京、愛知を巡回
大阪、愛知では初めての回顧展実現の機会となるだけでなく、没後開催された回顧展のなかで最大規模といえるスケールの大回顧展となります。
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岡本芸術と人間・岡本太郎を体感
いまなお人々を惹きつけ、世代を超えて共感をひろげる岡本太郎。本展は、岡本芸術の特質と本質、さらにはその底流にある人間・岡本太郎を、展覧会場の空間体験をとおして一人ひとりが感知する体感型の展覧会です。
展示構成
第1章:“岡本太郎”誕生 —パリ時代—
1929年、18歳の冬に家族とともにヨーロッパに渡った岡本太郎は、単身パリに残り芸術家を目指し始めました。ピカソの作品との衝撃的な出会いを経て独自の表現を模索していく中、前衛芸術家や思想家たちと深く交わり最先端の芸術運動に身を投じていきます。さらに、パリ大学で哲学や社会学のほか、マルセル・モースに師事して民族学を学び、その後の岡本芸術を生み出す土台となる思想を深めていきました。代表作《傷ましき腕》や《空間》など、パリ時代の作品を通し、“岡本太郎”誕生の背景を探ります。
ぼくはパリで、人間全体として生きることを学んだ。
画家とか彫刻家とか一つの職業に限定されないで、
もっと広く人間、全存在として生きる。
第2章:創造の孤独 —日本の文化を挑発する—
第二次世界大戦の勃発により約10年間滞在したパリから帰国した太郎は、中国戦線へ出征、俘虜生活を経て1946年に復員しました。戦後、旧態依然とした日本の美術界に接し、その変革を目指し「夜の会」を結成。抽象と具象、愛憎、美醜など対立する要素が生み出す軋轢のエネルギーを提示する「対極主義」を掲げ、前衛芸術運動を開始します。また、新しい芸術思想を提示した著書『今日の芸術』がベストセラーとなり、太郎は、戦後日本の芸術の牽引者というだけでなく、文化領域全体の挑発者としての存在感を増していきました。《森の掟》や《重工業》などの代表作を含む1940〜50年代に描かれた作品とともに、アヴァンギャルドの旗手としての芸術的成果を振り返ります。
今日の芸術は、うまくあってはいけない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。
第3章:人間の根源 —呪力の魅惑—
前衛芸術運動を推し進める一方、太郎は自らの出自としての日本の文化のありかたにまなざしを投じます。本章では、太郎に大きな刺激を与え、それまでの作風を変える契機にもなった1951年の縄文土器との出会いや、東北から沖縄に至る日本各地のほか、韓国やメキシコなどを含めた太郎の広大なフィールドワーク(実施調査)に着目し、各地で撮影した写真に込められた民族学的洞察と日本文化への視座を提示します。また、このころから多くみられるようになる、書の筆致を思わせる呪術性を秘めたような抽象的なモチーフを描いた絵画作品なども含め、その後の《太陽の塔》につながる60 年代の呪術的な世界観をのぞくことができる、エネルギー溢れる作品群を一望します。
芸術は呪術である。
人間生命の根源的渾沌を、もっとも明快な形でつき出す。
人の姿を映すのに鏡があるように、精神を逆手にとって呪縛するのが芸術なのだ。
第4章:大衆の中の芸術
芸術とは生活そのもの。そう考える太郎にとって衣食住をふくめた人々の生活のすべてが表現のフィールドでした。1952年に絵画の工業生産化の提案として制作したモザイクタイルを用いた作品《太陽の神話》をきっかけに、太郎の表現は、画廊や美術館から飛び出し、地下鉄通路や旧都庁舎の壁画、屋外彫刻などのパブリックアートをはじめ、暮らしに根差した時計や植木鉢、新聞広告などの生活用品にいたるまで、大衆にダイレクトに語りかけるものへと広がっていきました。絵画や彫刻といった既成のジャンルを軽々と飛び越え、積極的に社会に飛び出していった太郎の好奇心と発想力を紹介します。
芸術は創造である。絵画は万人によって
つくられなければならないのだ。
芸術は大衆のものだ。芸術は自由だ。
第5章:ふたつの太陽 —《太陽の塔》と《明日の神話》—
「人類の進歩と調和」を掲げた1970年の大阪万博。その「テーマ館」のプロデュースを依頼された太郎は、人間にとっての真の「進歩と調和」は、科学技術の推進に限るものでも、同調や馴れ合いによるものでもないとし、敢えてテーマとは真逆の価値観ともいえる、人間の太古からの根源的なエネルギーを象徴させた《太陽の塔》を制作しました。《太陽の塔》と並行して描かれたのが現在渋谷駅に設置されている幅30mの巨大壁画《明日の神話》です。原子爆弾を主題に人類の「進歩」に内在する負の側面を見据え、それを乗り越えていく人類の未来への期待が込められています。この「ふたつの太陽」について、太郎が残したドローイングや資料とともにその現代的意味を考えます。
太陽は人間生命の根源だ。
惜しみなく光と熱を
ふりそそぐこの神聖な核。
われわれは猛烈な祭りによって太陽と交歓し、
その燃えるエネルギーにこたえる。
第6章:黒い眼の深淵 —つき抜けた孤独—
大阪万博を経て岡本太郎の存在はより広く大衆に受け入れられるようになりました。なかでも、1953年の放送開始当初から出演していたテレビでは、81年の「芸術は爆発だ!」
と叫ぶCMをはじめ数多くの番組に登場し、日本で最も顔を知られる芸術家となっていきます。しかし、絵画制作への意欲は衰えることはありませんでした。異空間へいざなう入口のような「眼」をモチーフとした作品群のほか、国際展等で発表した過去作品に大胆に加筆した絵画など、最晩年まで自らの芸術をダイナミックに追求し続けていきました。1996年に太郎はこの世を去りますが、その直後から再評価の機運が高まります。その陰には50年に渡り秘書として太郎の活動を支えた岡本敏子の存在がありました。敏子の尽力により太郎の芸術や著作、そして力強い言葉は、人々に生きる勇気を与え、世代を超えて受け継がれています。
面白いねえ、実に。オレの人生は。
だって道がないんだ。
眼の前にはいつも、なんにもない。
ただ前に向かって身心をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ。
グッゲンハイム美術館から初期の代表作《露店》の初めての里帰りが決定!
日本での公開は、約40年ぶり!
史上最大のスケールで大阪、東京、愛知を巡回する「展覧会 岡本太郎」。太郎の初期の表現にふれられる貴重な絵画のひとつ、《露店》(1937/49年、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館蔵)の出品が決定しました。
岡本太郎が芸術家としての基盤を作った1930年代のパリ滞在期の作品は、戦災ですべて焼失しました。そのため当時の作品の内容は、1937年にパリで発刊された初めての画集『OKAMOTO』(G.L.M.社)に掲載のモノクロの図版と、戦後に太郎自身が再制作した4点からしか伺うことはできません。そのなかでも、今回出品が決定した《露店》は、1983年に太郎本人によりグッゲンハイム美術館に寄贈されて以来、日本国内では実物を見ることが叶いませんでした。
「展覧会 岡本太郎」は、約40年の時を経て初めて里帰りする《露店》をご紹介するだけでなく、《空間》、《傷ましき腕》、《コントルポアン》(東京国立近代美術館蔵)といった、現在に残る太郎の初期作品全4点をまとめてご覧いただける大変貴重な機会となります。岡本太郎の初期の名作に注目です。
手前の色彩豊かな商品列に対して屋台の中は暗く、リボンをつけた売り子は自らの世界に閉じこもるようにうつむいて笛を吹いています。明るい色を用いながらも、青春の苦悩を表現しているように見える作品で、1949年に《傷ましき腕》とともに再制作されました。メトロポリタン美術館(ニューヨーク)とテート・モダン(ロンドン)で昨年秋から今年にかけて開かれた「国境を越えたシュルレアリスム(Surrealism Beyond Borders)」展にも出品され、シュルレアリスムの影響を受けた重要な作品と見なされています。